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徒然なるまま私は本を読む

 こんばんは。アルテミスです。

 少しづつ日が長くなり始め、三寒四温の中に春の目覚め(って言う作戦名がありましたね、ご存知ですか?)を感じる日々となってきました。

 

 ブログって書こうと思って書けるものではないですよね。日記として書く分には色々言えるのでしょうが、それも中々書けたもんじゃない。

 

 それで今日は何を書こうかと本棚の前に立ったとき、そう言えば私結構本持ってるよなってどうでも良い事を考えまして、今日はその話をしてみようと思います。

 

 皆様は本は読まれますでしょうか。ここで言う本というのは電子書籍ではなく、紙の書籍の話です。

 

 私は意識して本の虫になるよう努めています。というのも私の反骨精神が電車のロングシートに一列に並んで全員スマホ触ってるみたいな光景を見ているとそれが嫌になってくるんですよね。

 

 仕事帰りに電車に乗ってTwitterやYoutubeを開き、数分して車内を見渡して皆スマホを触っているのを見ると同じ事をしてたくなくて、鞄から文庫本を取り出すんです。それができるよう常に読み切ってない本を鞄に忍ばせて、読み切ったら書店に行って買い足します。

 

 本かスマホか論争って結構根深くて、本の方が情報吸収性が良いとか、いやスマホ使ってる子供のほうが頭が良いとか、いつまでも言い合ってますよね。

 

 私の勝手な解釈ですが、人類がまだ自分の文明の急成長に体が適応していないから脳の適応に個人差がある、って事になるんじゃないですかね。少なくとも私がガキだった頃はスマホなんて無くて、パソコンも今ほどハイスペでも無かったわけで、それまで人類が慣れ親しんできた本の方が本能的に親和性とかを覚えやすいんじゃないですかね。

 

 そもそも紙だって人類開闢以来存在した訳では無いし、中国で紙が発明された時、皆がすぐ石や木に代わる情報伝達手段として受け入れたかは分からないですよね。

 

 二百年後して生まれたときから電子機器がお友達みたいな人しかいなくなった時代には紙なんて殆ど廃れて、懐古趣味の好事家くらいしか持ち合わせなくなるんじゃないですかね。その時まで人類文明が存続してたらの話ですけど。

 

 それでも私のように本を買いに書店に行く人間は大勢います。私は別に原始的懐古主義者ではないので紙の本の優越性を妄信しているわけではないですが、強いて言うなら「スマホより温かい」んですよね。

 

 スマホで目にできる文面の殆どは見たくなければ簡単に画面を閉じるかブラウザバックできちゃいます。でもそれだと掲載主にとっては広告収益が得られないので、少しでも刺激的で簡潔で平易な文章を書こうとします。

 

 IMP(閲覧数)、CTR(遷移率)、CVR(簡単に言えば対ページ閲覧数購入率)(いずれもネットメディア用語)、そればかりが意識されがちなネットの記事は読みやすいですが頭に残らないです。筆者が書こうとする情報は伝わって来ますが、それ以上の情緒に訴えるだけの感銘は受けない、と言うのが結構多いです。

 

 もっともネットと言う情報発信者の参入障壁がマリアナ海溝より低い世界では情報の玉石混淆など当たり前で、ピンキリが当然と言ってしまえばそこまでなのですが。ただ人間は一目でピンかキリかをしっかり判断出来るほど優れていないので、私はネットで見た情報は信用しない事で自分なりの情報に対する防護壁を作っています。そもそも情報量多すぎて覚えてらんねーわ。

 

 本、ここでは文庫本を指して言いますが、これらは読む前に買うという過程が発生するため、読む途中において離脱率(これもネットのメディア用語です)を気にかける必要がないので、良文にありつけやすくなります。金儲けの事考えると人間って際限なく卑しくなれますよ。

 

 それと本という手に取れるそれ一つで完結したメディアを作るとなると、なるべく完成度を上げようと言うインセンティブが働くみたいで、文全体の質が高くなりがちです。その辺の有象無象のネットメディアが比較にならないくらいね。

 

 本の明確に優れたところを挙げるとすれば、ある程度社会的信用がある人じゃなきゃ出版社や書店を通せなくて本屋に置かれないから、その段階で篩にかけてくれる所でしょうか。そりゃ本屋とて何もかもが優れた書籍ばっかりと言うわけではないですが、Twitterトレンドよりはなんぼかマシなわけでして。ネットメディアの場合別に印刷費はかからないし、何でもかんでも投稿してインプ数稼げたら広告収益入るからラッキーくらいのものが多いのでかなり質悪くなりがちです。

 

一方サブスクで記事自体が収益を発生させる訳では無いDOとか日経とかは比較的質が高いですから、どうせネットで情報見るならそっちをオススメします。ただしこの辺のメディアも情報の速達性が至上価値である以上結局世情の煽りを受けやすいので、あれを基準に物事の判断を行うと物事の本質を見誤る事は多いです。

 

 本屋に入って最初に目に入るコーナーに並ぶ緊急発刊されているような本(今で言うとウクライナとか統一教会関連ですかね)にも言える事ですが、直近の世情に対応するビジネススタイルのメディアの情報は世論の誘導(無知蒙昧な大衆共に俺様が教えてやるよ的な)や世論への迎合による知名度獲得を目的としたものが多く、読む事があなたの教養を作ることはほぼ無いと言って良いでしょう(ってはっきり言うと怒られるかな?)。

 

 その情報の信憑性自体は私にも分かりません(別に嘘を書いてると言いたいわけじゃありませんから)が、深い思索や研究に立脚したものではなく、目前の事態に対しとかく感情的になりがちな大衆世論を気にしているだけのメディアを読んでも金と時間を無駄にするだけではあります。

 

 最新ニュースなど新聞かテレビのニュース、WikipediaでもTwitterでも表面的な事実だけつまみ食いして、あとは普段から培った教養で咀嚼して背景の本質を消化吸収すれば良いだけですから。

 

 ニュースを見て「可哀想!ふざけるな!」「酷い!許せない!」なんて怒っても、現場を見たわけでも無い部外者が何を言っても仕方ないのです。

 

 「政治家に国民の事が分かるわけ無い!」って言っても政治家がその人の言葉を聞いてるわけもないので思う事があるなら選挙に行くか事務所に行って陳情しましょう。

 

 だいたいテロとか革命起こしたところで起こした人間にとってその後の展開が良くなった例なんか歴史上に殆どないんですから。

 

 ちょっと話が逸れましたが。何が言いたいかって皆さん本読むの良いよってことです。過去と今を知る事が、未来を見るレンズを作ります。

 

 学校の勉強ってその教養をつけるための素地を作る段階なので、面倒でサボるのはともかく(私もやった)、その意義を子供の内から否定しても軽薄な人間と見做されるだけです。

 

 なんか話が纏まんなくなってきたので、この辺にしときましょう。皆さん是非本屋に行って、入口のセンシティブな表紙の本など無視して店の奥に並ぶ中央公論とか岩波文庫のコーナーを見てみてください。何だって置いてありますから。

 

 私は先程「行動経済学」「近代日本外交史」「原敬」と三冊買いました。電車で読むのが楽しみです。